夫が長女を連れ去って行ったあのXデーから間も無く、4年が経過しようとしている。最近ふと考えることがある。それは、自分の幸せについてだ。
私の幸せとはなんだろう。
人は幸せになるために生まれ、幸せを求め、結婚し子供を育てて行くものだと思っていた。
そして国は、その国民を支えるために存在し、その国が作る法律は国民の秩序を正すためにあると思っていた。
Xデーは、木曜日だった。翌朝金曜日、仕事が終われば、週末は休みになる。そう思った私は、長女を連れて遠く離れた母の家に行こう、自然豊かな田舎町で、これからの事を相談しようと考えていた。「別居したい」と言ったものの、連れ去るなんてことは考えた事もなく、ただ、夫婦関係を修復し、なんとか長女のためにもう一度やり直す事をゆっくり考えたかったのだ。長女がパパを好きなことは充分わかっていた。私が長女を連れ、母の元で暮らす事も脳裏に過った事もあるが、長女はパパに会えなくなる、それはとても可哀想なことだと理解していたので、その選択肢は無くなった。
あの時はあの生活が辛すぎて、逃げたい気持ちが山々だった。これもコロナの影響だったのだろう。
コロナがなかったら、夫の仕事は順調だった。私も時短で働き、慣れない育児と仕事と家庭を両立させてなんとか夫婦のパワーバランスを保ち、普通に暮らしていただろう。
けれど、私は果たしてそれで幸せだったのだろうか?という疑問が湧いてくるのだ。
夫は、2年間私と一緒に暮らしながらも親権を私から奪う準備をし、連れ去り、自分の娘に母親と月たった2回しか会えない生活を虐げることができる人格の持ち主である。連れ去る2週間前には3人で旅行にも行き、満面な笑顔の写真が残っている。あの笑顔の裏には、私から長女を奪う事を計画していたと思うと心底ゾッとする。
「あの夫」と、結婚生活を続け、私は本当に幸せになっていたのだろうか。
そして、同時に、長女を私から奪い去り、長女と2人で暮らしている「あの夫」は、今、本当に幸せなのだろうか。
