私の夢は長女と自由に会う事。こんな夢を持つ母親は世の中にどのくらいいるのだろうか?
私には2人の娘がいる。7歳と2歳。私は次女と2人で暮らしており、長女とは離れて暮らしている。長女が3歳4ヶ月の頃、当時、一緒に暮らしていた夫に長女を連れ去られ一緒に暮らせなくなってしまったのだ。会えるのは月たったの2回だけ。自由に会うことはできない。
そんな生活が3年10ヶ月続いてる。保育園の行事には一切参加できなかった。小学生になってもその状況は変わらず、先日行われた運動会に行くことも許されなかった。これは、離婚後単独親権制度を戦後から続けているおかしな国、日本の所為だ。
なぜなら日本は、離婚をし子供の親権者になりたければ、配偶者に何も言わずに子供を連れ去り、別居を開始し、子供を片方の親に会わせなくても法律上何の問題もない。親権を夫婦で奪い合い、子供を夫婦で奪い合うのだ。
海外では連れ去った親は誘拐罪という犯罪者となるのに、日本では連れ去った親が親権者となれるのだ。
よく妻が結婚生活に疲れて「実家に帰らせて頂きます」といきなり置き手紙を置き、子供を連れて家出をするというアレだ。
私の場合は置き手紙もなく、夫婦喧嘩をした矢先、私が少し家を留守にした隙に夫は長女を連れていきなり実家に帰ったのだ。それから夫の許可がなければ長女には会えなくなった。昨日まで当たり前のように隣で寝ていた長女、「ママ大好き」と私の足に纏わりついてきたあの子が突然いなくなり、その長女に会うのに夫の許可が必要になったのだ。
あれから人生が変わった。警察に行き、弁護士に相談し、調停、裁判、ありと凡ゆる手段を試行錯誤したが、長女に会える兆しはなかった。長女を思い出しては泣き、眠れず、食事もとれず、仕事もできないくらい精神状態が悪くなった。病院にも通った。薬も飲んだ。
長女と夫が住む家と私の家はたった1、5kmの徒歩15分くらいの距離。なのに、長女は遠く離れた異国の地にいるような感覚になった。会いたいとどんなに夫にお願いしても、何かに縋るように願っても夫が許可しなければ会えないのだ。どんなにお金をかけてもだ。長女のいる家の近くに何度も足を運んだ。保育園にも手紙を書いた。でも、会えないのだ。私はあの子を産んだ母親なのに、抱くことすら顔を見ることすらできなくなってしまった。
そんな時ある人の事を思い出した。彼は、母親が日本人、父親がカナダ人のハーフのカナダ国籍だった。
結婚する前の約10年間、私は田舎を離れ東京で暮らしていた。彼は、東京で英会話の先生をしており、ワーキングホリデーでカナダに滞在する事を決めた私は、英会話を習いに行き、そこで彼と出会った。
彼の両親は幼い頃に離婚をし、両親は遠く離れて暮らしていた。しかし、毎週遠く離れた片方の親に飛行機で会いに行っていたと教えてくれた。それが約束であったと。彼は子供ながらに「面倒くさい」と感じつつも会いに行っていたようだ。その甲斐あってか、彼は大人になっても両親と分け隔てなく平等に関わり続けられていると話していた。自分が大好きで、自己肯定感が高い人だったが、ハーフであるためか、自分の人種はなんだ?と見失うことがあるようだった。自分の居場所を求め日本に住んでいるように感じた。旅行が好きで色んな国の事を知っていて、日本と海外の違いをよく話してくれた。
彼は私に「日本は離婚したら子供はどちらかの親としか一緒にいられなくなる。カナダもイギリスもイタリアもアメリカも離婚しても両親に親権があるから親子が会えなくなることはないんだよ。日本は遅れてる。離婚したら親子が会えなくなる国なんて、日本だけだよ。」と。それを言われた当時はまさか自分が当事者になるとは思ってもいなく、「私は女性だし離婚したら母子家庭になるし、子供と離れることはない。子供はお母さんの方が好きだしお母さんと一緒にいられるんだし、それでいいんじゃないの。」と思った記憶がある。
しかし、いざ自分が当事者になると、日本の異常さに腹が立った。カナダの方がいい、海外の方が良かった。私が外国人であり海外に住んでいたら、離婚して長女と会えなくなることはなかった。遠くに暮らしたとしてもどんな手段を使ってでも会うことはできた。日本人だから私は長女に会えなくなった。日本だから、長女はお母さんに会えなくなったのだ。日本人としていることが嫌になった初めての瞬間だった。
身勝手な夫、常に自分を優先する夫の所為でもあるが、そもそも日本の法律がそんな身勝手な親を許容してしまうことが害悪だ。
こうして、この日本というおかしな国の法律の所為で私達親子は遠く離れた異国の地にいるよりも会うことのできない存在となってしまったのだ。
遠くにいても、どんな人種であれ、人であることには変わりない。親が子と一緒にいたい気持ち、子が親と一緒にいたい思う気持ちに理由はない。好きだから会いたいとか、心配だからとか、〇〇だからとか、そういう事ではない。ただただ一緒に居て生活を共にする、それが親子なのだ。それは、普遍的であり、どんな人種であれ変わらない。そんな事を国の法律で左右されたくないし、国ごとに取り決めたり国ごと違うこと自体おかしな事だと思うのだ。親子が共に生活するなんてことは、普遍的で人類共通なことだ。
私はあの子を産んだ母親でもあり、わたし自身も娘なのだ。それは、どんなことがあっても変わらないし、その関係に自由を奪われてはならないのだ。
